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白毫寺とは
白毫寺 びゃくごうじ
元亀2年(1571)の創建と伝えられています。昔、このあたりは、あゆち潟と知多の浦を望む勝景の地で、万葉歌人などが歌に詠んだところです。名勝・旧「年魚市潟」展望地として、市に指定されています。「あゆち」は「あいち」に転じ、県名の語源となりました。また、源頼朝が京都へのぼる途中、ここで休んだので「棧敷山」とも呼ばれます。境内には、勝景跡の碑や歌碑、芭蕉句碑などが点在しています。
年魚市潟勝景跡の碑
名古屋市南区岩戸町の白毫寺(びゃくごうじ)の中に巻7-1163の万葉歌碑があります。門をくぐり入っていくと、本堂の南側(左側)奥に下の写真のような「年魚市潟景勝の地」の石碑です。
歌碑(万葉歌碑)
万葉集巻七廟旅の歌
年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ (巻7-1163)
<大意>
年魚市潟(あゆちがた)の潮が引いたようだ。知多の浦に朝漕ぐ舟も 沖に寄っているのが見える。
年魚市潟(あゆちがた)は、名古屋市熱田区、南区一帯を指し、知多の浦は、名古屋市南部から東海、知多市に広がる伊勢湾に面した遠浅の海岸を指すそうです。白毫寺は、現在高台の住宅街の中にありますが、当時は海岸線が近くにあり湾が一望でききたものと思われます。
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